クオリアとエンパシー
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思索
クオリアの問題は、昔から僕にとって考えるべき大きな題材の一つでした。
簡単に説明できないので、クオリアとは何か、については以下のサイトをご覧いただきたいのですが、
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html
つまるところ、人と人とが分かりあうことは不可能である。と、理解してます。
一方、HSPの特徴には、他人の感情や痛みを敏感に感じ取ってしまう、というものがあります。
確かに周りの空気に影響されやすかったり、深い共感を感じてしまったり。
ただ、僕はやはりクオリアの意識が大きくあったので、
他人の感情を感じ取ってしまうという、エンパシーには少し疑問を抱いていたのです。
ところがHSPの合宿でお世話になったカウンセラー那智子さんのブログ記事で、
エンパシーのことがすっと腑に落ちて納得できました。
http://ameblo.jp/cool77/entry-11857231067.html
エンパスとは共感力のような捉え方をされがちですが他の人の考え方や感情を自分のことのように感じ取ってしまう感情移入というよりは自己移入となり、自覚のないうちには他人の怒りや悲しみにも振り回され必要以上に苦労しがちである。
相手のことが分かる前提で共感できると考えるのはシンパシー。
逆に相手のことは分からない前提で、相手の感情を自分自身の立場で置き換えて考えるのがエンパシー。
この分解によって、クオリアとエンパシーとの親和性が高くなりました。
どんなに共感しているよに感じても、本当の相手の気持ちは決して分かり得ない。
ただ、それを自覚したうえで自分自身で捉えなおしたうえで、
その感情に対して深く入り込んで行ける。
という考えが、エンパシーに対する僕の疑問を払拭し、身近なものとして考えられるようになりました。
人と人とは分かりあえない。
けれど、それを自覚しているからこそ、
もっと人と深く信じあうことだってできるのだと思います。
分からないからこそ、深く想像し、
対話を続けて、試行錯誤して、
自分のことを分かってもらえないと嘆かずに、
より相手のことを大切に思い遣ることができるのでしょう。
分からないことは、きっと無限の可能性。
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Comment
わたしはずっと人は違って当たり前。親友のような通じ合える人とだけ分かり合えればいいと思っていました。
最近海外出身の方に恋をし、しかしこの考えで接してしまっていたので先方が「わからない」となり、一旦離れることになりました。その間に”エンパシー”に近い考え方を親友から勧められ伝える努力を始め、最近その方といい関係が築け始めている、と感じています。
伝えて深くお互いを知ることができ信頼関係を築くことができるのだということを最近身を以て感じ驚いています。
そんなときにこのブログを知り、ついコメントを残したくなりました。
これからもブログがんばって続けてください。
あーるさん
はじめまして。ヌーヌーです。
今更ですがコメント残していただきありがとうございました。
あーるさんがその大切な方と思いを伝え合いながら、
幸せになっていく姿を勝手に想像して応援しています!