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依存症

公開日: : 未分類

HSPや内向的な人とは関係の無い話ですが、
僕の人生で一番の問題であり、
いま最も真剣に向き合わなければいけないことなので書かせていただきます。

 

僕はパチンコ・パチスロ依存症です。

 

HSPや内向型の人にしてみれば、
おそらく遠い存在であるはずのひとつ。

けたたましい騒音とタバコの煙に溢れかえった店内、
多くの人間が機械を相手に興奮し、次々と千円札を吸い込ませていくギャンブル。

 

そんなものに20歳の時から10年以上ものめり込み、
お金も時間も友人や家族、恋人との関係も全部失ってきました。

HSPの活動だとか、夢やなんだを語る前に、
パチンコにまつわる問題を解消しないことには、
何も言うことができなかったはずなのに、ずっと逃げてきました。

 

今更何を言ったところで、
僕が信用ならない、自分で自分自身を信じることもできない人間なのは変わり無いのですが、
本当に大切なものも失った悔しさ、
それだけは本物であると信じて、
改めて自分の問題と向き合うために文章にしてみたいと思います。
誰のためでもない、自分のための文章であることをご了承ください。

 

 

僕が初めてパチンコで勝ったのは、20歳のとき精神科に入院していたときでした。

当時大学生で、うつ状態になった原因と理由は、
今となってはくだらないものだったのかもしれませんが、
とにかくその時は、学校やらサークルやらバイトやらで抱えていた問題を解決するためには、
そういった環境から抜け出すために入院という手段しかないと考えていました。
医者からは通院での治療という選択肢も提示されていたと思いますが(すでに通院はしていました)、
ある日、それまで遅刻もなく通えていたバイトに突然行けなくなり、
パニックになってしまったのをきっかけに両親にも訴えて入院を希望したと記憶しています。

 

入院した当初の記憶はあまり定かではありません。
ただ、もともと重い症状ではなかったということ、
でも自分としては辛いことには変わりなかったので、
その辛さを共有してもらえない不満から、軽い自傷行為に至ってみたり、
今思えばただの構ってちゃんの甘えだった気もしますが、
今回はそこに触れることは本題ではないので止めておきます。

 

精神科に入院していてパチンコに触れることになったのは、
規則正しい生活を半月くらい続け、徐々に落ち着きを取り戻してくると、
2時間や3時間といった外出許可が出るようになったときです。

中途半端な外出時間を与えられても、
当時から学校やサークル活動以外は引きこもりがちで、
遊び方を知らなかった僕は時間の過ごし方に困りました。
そんなとき同じく入院中だった人に教えて貰ったのがパチンコでした。

 

今はどうか分かりませんが、
当時の精神科の病棟には、消灯時間後でも明かりがついていて、
自由に出入りができる喫煙スペースがありました。
他の科と違って、どうしても精神的にタバコに依存してしま人もいるからですが、
逆にその場所であればよほど騒がしくしたり、日付を超えるくらいの深夜でもなければ
消灯時間後に集まって話していても咎められない場所でした。

精神科で入院している人たちは年齢も性別も症状も様々ですが、
心を病んでいるもの同士、気の合うことも多く(もちろん諍いもありましたが)
僕もその喫煙所コミュニティに溶け込むのに時間はかかりませんでした。
(余談ですが、それまでは一生吸うことはないだろうと思っていたタバコもそこで覚えました)

 

そんなわけで、そこで外出中の過ごし方を聞いてみたところ、
その喫煙所コミュニティの中心的存在だった、
元銀座のクラブでナンバーワンのホステスだったというMさんがパチンコに行っているというので、
何の気無しに病院近くの寂れたパチンコ屋に行ってみたのです。

 

結果1000円が27000円になりました。

見事にビギナーズラックにはまってしまったのです。
というより、今思えば店にコントロールされていたのではないかと思うほど。

 

店に入ったのは一人でしたし、最初はパチンコ台のどこにお金を入れたらいいのかも迷うほどです。
なので店員さんに打ち方を聞いたり、あまつさえどの台が当たりそうかも聞いていた気がします。
パチンコは図柄が揃って大当たりになった後も、
ハンドルを握ってパチンコ玉を打ち出し続けなければならないのですが、
それがわからず手を離して眺めていたら玉が出ないまま大当たりが終わってしまい、
なんだこれ、わけわからない。と席を立ちそうになったのを店員さんに止められたほどです。
いわゆる、大当たりが出やすい確率変動状態になっていたので、
すぐに止められない状況でした。

勝手がわかると玉が出るようになって、おそらく5,6連チャンくらいはしたのだろうと思います。
正味1時間もしないうちに、26000円の勝ち。
今でもその金額を覚えているほど、当時にしてはそんな短期間でお金を得ることなどなかったもので、
見事に感動してしまったのです。
「パチンコはなんてボロいんだ」と。

 

実は、このときは初勝利でしたが、
入院する前に、一度だけ地元の友人に連れられて打ったことがありました。

そのときはパチンコ台の中では一番投資が少なくて済む「羽根モノ」に2000円を使ったのですが、
当たりにはならず、大学生にとって一瞬で2000円が消えて無くなるというのはショック、
というまともな金銭感覚を持っていたので、こんなもの2度とやるかという印象でした。
その友人はもっと前からパチンコをやっていて、
1日で4,5万使うという話も聞いていたので、恐ろしくて手を出すまいと思っていたのです。

 

それがたった1回の勝ちで印象が変わってしまうのだから、それこそ恐ろしいものです。

 

そして何より当時は、純粋に楽しく、
また、勝った喜びを分かち合える人たちがいたのです。
その後は入院中も、外出許可の時間が合えば、
元ホステスのMさんや、躁鬱病で自殺未遂も何度か体験している男性のAさんなど、
特にパチンコの話がしやすい人たちと一緒に打ちに行くこともありました。

 

そういうときに僕だけに当たりの運が向いていて、
それを羨むでもなく、僕の実力として褒めてくれるような人たちで、
弟か息子のように接してくれていたような気がして、調子に乗ってしまったのです。
学校ぐらいでしか人間関係のなかった僕が、
普通なら縁のないような年齢の人たちと仲間になれる。
そんなきっかけを作ってくれたパチンコが当時は純粋に楽しかったのです。

 

このとき、パチンコで勝つことが無かったら、
その後にパチンコに悩まされることは無かったのかもしれません。
でもきっと、何度やり直しても「勝たされてしまう」のだと思います。

パチンコは心の隙間に入り込みます。
弱い人間や、お金に困っているような人間から順番に搾取していきます。
そうなるように精巧に作られた産業であり、
それで儲けている人間がいるからこそ、日本全国どこにでも存在し、
一時期は30兆円産業とまで言われたのです。

 

決して言い訳にはならないのですが、
当時心を病んでいた僕にとって、派手に大当たりを演出し、
期待感を高めて、当たれば一瞬で苦労せずお金に換わる、
そういう射幸心を煽ることに命をかけて作られたパチンコは心が躍るものでした。
煩わしい手順もなく、お金を入れて機械をただ相手にしていればいい、
というのも、当時の人間関係に疲れていた身には丁度良かったのかもしれません。

けれど、そういう産業が成り立っているのは、
基本的に負けるようにできているから。
冷静に考えて、いつまでも勝ち続けられるわけがないのです。

 

でもその冷静さを持つことができないまま、
パチンコにのめり込んでいきました。

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